中村有希(中山いづみ保育園 保育士)
ほんの小さな変化や成長を喜び、共有できる素晴らしい仕事
勤務地 | 中山いづみ保育園(現在:主任保育士) |
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入職年月日 | 2004年 |
この仕事をしていなかったら? | 介護職員 or 看護師 |
幼い頃からの夢を実現
保育園か幼稚園の先生になることは幼い頃からの夢だったんです。
いつも近所で、自分より年下の子どもたちを集めて学校ごっこや保育園ごっこをやっていましたね。もちろん私が先生役です。
高校生になって進路に悩んでいた時に、保育園にボランティアに行く機会がありました。
その時にやっぱり楽しいなと思ったことが決め手になりました。
いつも近所で、自分より年下の子どもたちを集めて学校ごっこや保育園ごっこをやっていましたね。もちろん私が先生役です。
高校生になって進路に悩んでいた時に、保育園にボランティアに行く機会がありました。
その時にやっぱり楽しいなと思ったことが決め手になりました。
オムツ替えにも苦労した新米時代
就職して最初は1歳児の受け持ちになりました。乳児でも1人1人に個性があるので、例えばお昼寝をするにもその子なりのスタイルがあります。
最初は常に目の前のことで精一杯で、オムツ替えだけでも、すごく苦労していた記憶があります。私自身も人見知りだったので、保護者の方の目を見てお話しすることや、子ども1人に少なくとも1つは良いことを見つけ、ご報告できるようにすることなどを心がけていました。
その当時の保護者の皆さんは、新米の担任で不安に思われることも多かったと思いますが、温かく見守っていただけて、本当にありがたかったです。
最初は常に目の前のことで精一杯で、オムツ替えだけでも、すごく苦労していた記憶があります。私自身も人見知りだったので、保護者の方の目を見てお話しすることや、子ども1人に少なくとも1つは良いことを見つけ、ご報告できるようにすることなどを心がけていました。
その当時の保護者の皆さんは、新米の担任で不安に思われることも多かったと思いますが、温かく見守っていただけて、本当にありがたかったです。
先輩の一言で、気持ちに変化が
最初の2~3年目頃までは、自分の受け持ちのクラスのことしか考えられなかったのですが、5~6年目くらいからは少しずつ園全体を意識できるようになったと思います。ちょうどその頃だったのですが、いろいろな仕事や行事が重なって「失敗したらダメ。私がちゃんとやらなきゃ」と自分で自分を追いつめていたことがありました。
そんな時に、あまりに力んでいる私を見かねたのか、1人の先輩が私の背中をバンッとたたいて「大丈夫!」と諭すように言ってくれたことがありました。張りつめていたものが切れて、ホロリと涙が出ましたね。
それ以来、いい意味で悩まなくなりました。これでダメだったらこっちでやってみようとか、切り替えができるようになり、気持ちにゆとりを持てるようになったのだと思います。
これからは私が、その時の先輩のように、悩んでいる後輩を勇気づけアドバイスする立場ですね。
そんな時に、あまりに力んでいる私を見かねたのか、1人の先輩が私の背中をバンッとたたいて「大丈夫!」と諭すように言ってくれたことがありました。張りつめていたものが切れて、ホロリと涙が出ましたね。
それ以来、いい意味で悩まなくなりました。これでダメだったらこっちでやってみようとか、切り替えができるようになり、気持ちにゆとりを持てるようになったのだと思います。
これからは私が、その時の先輩のように、悩んでいる後輩を勇気づけアドバイスする立場ですね。
小さな成長を喜び合える素敵な仕事
保育士になって10年が過ぎました。もちろん今も変わらずこの仕事が大好きです。
1つの行事に取り組むたびに、子どもたちの新たな一面を発見できたり、できなかったことができるようになったりする日々の成長に、幸せを感じています。ほんの小さな変化や成長を、保護者の方たちとともに喜べるとてもいい仕事だと実感しています。
1つの行事に取り組むたびに、子どもたちの新たな一面を発見できたり、できなかったことができるようになったりする日々の成長に、幸せを感じています。ほんの小さな変化や成長を、保護者の方たちとともに喜べるとてもいい仕事だと実感しています。
POINT
かつて支えてくれた先輩のように後輩を勇気づけられる保育士に
更新日:2023.12.15
#保育士
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